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 禁煙セラピーの中で繰り返し語られるのは、喫煙は、「習慣」じゃあなくて、「病気」、「中毒」ですよ。というのが、よく分かる。しんどいわ。この状態から吸う一本が、めっちゃ美味いのが、分かるのも、またこれ、事実。

 吸わない人からしたら、「何言ってんだこのタコ」という感じかも知れないけど、吸う人には、この気持ちが分かって欲しいなー。

 まぁ、ぶっちゃけ、財布の中のお金が心もとないからなのだけど、折角、久しぶりに、禁煙セラピーを読んだからやってみようかな、とか。しかし、「中毒」というのは、よく分かる。私は、お酒も好きだけど、アルコールで、こんな渇望はないものな。毎晩、夕飯になったら「晩酌」したくなるのも、弱度のアルコール中毒らしいけど。

 しかし、タバコを吸いたい。ああ、吸いたい。この肉体と、身体の中のタバコ好きの大悪魔が暴れまわる感じも、楽しめと、禁煙セラピーは言う。


 ここ最近、フェイスブックの利用が増えている。ミクシィとかは、時々しかログインしないけど、ツイッターとか、はてブとかで、放り込んだ内容に対するリアクションがメールで来るのが、便利なんだろうな。ついつい、確認するもの。

 改めて感じるのは、ツイッターや、はてブとは、全く、インターネッツの土壌が違うこと。基本的に、名前と顔を知っている人と、繋がっているから当然なのだけど。匿名での活動が長かった影響かも。フェイスブックで感じたことを、まとめて記事にしたいところだけど、実名の繋がりの中で感じたことを、記事にするのは、はばかれるなぁ。

 一つだけ言えるのは、実社会で自信0(ゼロ)な私は、フェイスブックには、本来向いてない…ということだろうか。止めるつもりはないけど…。


 身体が訴える、「ニコチン欲しい!」の声を感じながら、布団で軽くゴロ寝をしていた時に思ったのは、「インターネット上での承認欲求は『クレクレ』状態なのに、実世界での承認に関しては『欲求』がないのか。」。ということだった。多分、人と触れ合うと、心が磨耗することにビビっているのだと思うけど、無職の俺が働くだけで、何かが歓迎される「承認欲求」が、そこに待っているかも知れないのに。ここは、「働いて当然!」とか言われるより、「よくぞ!働いた!」と、ぬるぬると、ぬるい歓迎を望みたいところ。

 フェイスブックをやってみて、逆説的に分かったのは、「俺はぬるま湯のインターネットにいたい!」ということだった。実名と匿名じゃあ、防御力が違うというか…。

 そんなことを考えながら、もうちょっとしたら、稽古に行ってくる。財布の中にお金がないから、500円貯金を使っていこうかな。きっと、私は、貯金が残った状態で死ぬタイプだと、分かった。

 こまねち。